私の視界が、突然上から見たような視点に変わる。
そこは、荒廃した戦場。血と炎が広がる大地の上、カナメはそこに立っていた。
『勇者として無理に戦う必要はないと思う。ただ、イグニア帝国に力を貸してほしい』
カナメはその声を聞いて呆気にとられたように動かなくなる。
(なんでカナメと私が別なんだろう、私、相変わらず動けないし……)
《元帥……》
げんすい、という言葉が聞こえて来たが意味はわからない。
カナメは元兵士って言ってたし彼の上司や偉い人なのかもしれない。
『戦争は民間人も巻き込む、例え魔王や勇者の争いを超えても永遠に続くが、な』
『カナメ、君はいつでも兵士から勇者になれる。それを忘れるな』
カナメを励ますように肩に手を置く大柄で鎧の男を最後に、別の人たちが歩いてきた。
服装から、カナメと同じ兵士だとわかる。
《みんな……》
『手柄を上げてうれしいか、化け物が』
『……また、仲間が死んだ、もういやだ』
『魔王ほっといてお遊びか?勇者の癖に』
(!ひどい。戦争とはいえ仲間にかける言葉じゃないよ!)
カナメが見てきた世界を、私は今、彼の記憶越しに眺めているような気がした。
それは、殺戮と孤独に満ちた物。
《そうか、そうだった、な》
彼が呆気としているところ、地面に足が飲まれて沈んでいく。
沈み切った先に手を伸ばす誰か。おそらく、歴代の勇者たちだ。
かつて魔王となり、抗いながらも敗れた者たち。
『結局、同じだ。化け物だ』
『自由などない、兵士だったときも力を利用されて失望したんだろうう』
「っ……黙れ!!」
『私たちと同じ道を辿る』
『お前は、魔王になる運命』
幻影たちが、まるで真実を語るようにカナメへ囁く。
カナメはそんな彼らにも剣を振るってはバタバタと倒していく。
前の勇者たちへの罪悪感や戦争での出来事からか、握る手が震えているのを感じた。
《もう二度と、意味のない戦いをしたくはないのに》
『そうだ、争いは無意味だ』
『しかし勇者である限り争いからは逃げられない』
( これ、ひょっとしなくても精神攻撃?)
傍観している立場になったせいか影響はあまり受けないとはいえ、カナメの辛いという感覚が痛いほど伝わってくる。
しかし同時に私の声もカナメには届かない。
暗い水の中のような場所でカナメは一人戦い続ける。
『魔王になってしまえば、罪からは逃げられる』
『お前が壊したのではない、魔王だから壊したのだ』
《……俺の魔法で消された人たちも、俺が魔王だから?》
『その通り』
しかし、ここでカナメの手が止まってしまった。
カナメの意識が揺れている。止めたはずの魔王化が再び進行する。
(バカナメ! 言われたこと真に受けんなぁ!)
「無駄ですよ、リコ」
いないはずのラメンティスが声をかけてきた。
(うわ、びっくりしたというか、あだ名…)
「少しばかり勇者の記憶から調べさせていただきました」
他人の記憶を覗いたという発言に対してラメンティスに怖気が走る。
人だったら鳥肌が立っていた。
しかし、呪いや魔法というのは面倒な制約があるけれど、本当になんでもできるらしい。
(何しに来たの?)
「ほんの状況説明です。彼の魔王化はあなたには止められませんよ?」
(なんで!?)
「この状況は、彼自身が魔王になることを選んだのです」
(カナメ自身が?)
「だから、呪い云々は関係ありませんし貴方の謎の力をもってしてでも出来ることはありません」
この場に現れずラメンティスは勝利を確信したかのように言い放つ。
そういえばカナメの元に声が通らないのは、コイツのせいだとしたら?
「なので大人しく、降参していただ……」
多分、体があったら思いっきり馬鹿にするように笑っていたと思う。
(”拘束、解け!”)
__パリン
「えぇ!?ですから無駄と!?」
やはり今の状況はラメンティスが作っていたようで、何かを壊せた。
私に体があれば思いっきりあっかんべーしてカナメのところへ落ちていったと思う。
魔力をうまく使えてるかはともかく、構造さえわかれば私でもどうにかできるらしい。
ラメンティスがいう様に、本当に詰みならこんな言葉をかける必要はない。
まだ、打破できる何かがあるのかもしれない。
カナメを説得できる何かに気付いているのかもしれない?
だから、私とカナメを分離する行動をとってるとしか思えない。
(私、ひたすら動いて頑張ることしか取り柄がないんだから!ここで動かずにいられるはずないじゃん!!)
そして、カナメの体に戻った瞬間激痛が襲う。邪魔は入らなかったらしい。
《……リコ?》
(ぎゃあああ、魔王化のせいでめちゃくちゃ痛いんだけど、これ自分からって正気!?)
《なんで戻ってきた》
(ごめん、今のカナメは正気じゃなかったね。神に拘束されてたみたいで遅くなっちゃった)
ずぶずぶと暗闇に沈んでいってるカナメは目を閉じながらもこちらへ念話を飛ばす。
集中できないようで進行も少しは治まる。
痛みも耐えられるくらいになるか。
《おい、そっちよりも先に質問に答えろ》
(私はどうやってもラメンティスをぶん殴れないから)
《そんなんで戻ってくるなんて、馬鹿じゃないか?》
私を煽るような減らず口はこんな時でも健在だ。
後で絶対文句を言ってやると思いつつも魔王化を止めさせようと必死になる。
(……カナメは、戦争で人を殺した時どう思ってたの?)
《不快》
(もっと言い方あると思うんだけど、それ……)
《悲しいから泣くとか、うれしいとか泣くとか、元からわからないから》
どこか淡々とした口調。それでも、私はカナメのその言葉に違和感を覚える。
そんなふうに言うなら、なぜ彼はあの時にあきらめる理由として私を使わなかった?
彼は感情も願いもないわけじゃない、それなりに考えて動いてるはずだ。
(カナメ、じゃあさ。なんで負けた後、私が居ながらも魔王討伐を優先したの?)
《……勇者、だから》
(違う。自由になりたいって本気で思ってたから魔王に向かったんじゃないの?)
魔王化が進行する中でも、ほんのわずか、止まる瞬間が出てきた。
よし、あってるなと安堵しながらも言葉をぶつけていく。
(私に気付いた後、勇者を作った神を殴ろうとしたのも、自由になりたいからでしょ)
《そんなこと考えても、もう遅い。未来なんてない》
沈みながら、ぽつりぽつりとカナメが語り始める。
《今でも、俺が前に出なきゃいけない。そうしなきゃ、また誰かが死ぬ》
まるで言いようのない息苦しさを実体化するようにカナメは、沈殿する泥のような闇の中へ沈んでいく。
もう胸の下まで沈んでるし、カナメ自身の姿も前に戦った魔王と、まったく同じ特徴を持つようになっているはずだ。
(それ、カナメの言葉じゃなくて、“勇者”としての言葉じゃないの?本当は?)
《俺が前に出るたびに、俺の中で何かが壊れていく。そんな気がした、けど……》
(じゃあ、今は仲間のせいでたくさん殺したって思いたくないから、魔王になろうとしたんじゃないの?)
《特に、無い。別に、”仲間のため”とか思って剣を振っていたわけじゃない》
(だったら過去も今も行動全部”カナメだけの意志”だよね?)
カナメの本質は、勇者という肩書きでも、魔王という呪いでもない。
彼自身の選択と、その先にある誰かのためだ。
不器用だけど、自分を犠牲にしてでも誰かを守れるくらい優しくて、自分の強さもちゃんと知ってる人。
彼が強くなったのもその誰かのためではなかったのだろうか?私はそこにかけてみる。
(選択肢が転がってる中で選んできたのはカナメ。これからは自分の意志で全部壊したいの?)
《それは、違う……はずだ。俺は……》
カナメはうつむいていた顔をようやく上げた。
魔王化も止まった。 でもまだ安心はできない。
(仕組まれたことだとか、選択の意味がないとか、そんなの!)
《もうどうでもいい……好きにさせてくれ!》
(あーもう!カナメが勝手に諦めるのが、ムカつくの!私、カナメのこと“勝手に諦める人”だなんて思いたくないのに!)
沈んでいくカナメに向かって、私は叫ぶ。
命がかかっていなきゃここまで強く言わないと思うけども、最後が迫っているからこそだ。
(逃げないで!最後まで、”自分で選んだ道”って言い切ってよ!)
——ドクン。
カナメの体を引きずりこんでいる泥が、一度大きく波打った。
「……俺が、選んだ道」
その言葉と同時に、カナメは歯を食いしばり剣を握る。
次の瞬間、泥も、上に広がっていた過去の亡霊も、まとめて“一刀両断”された。
「俺は……俺でいたい、それだけ」
泥の世界が悲鳴を上げるように軋み、過去の亡霊たちが霧のように消えていく。
魔法で再現された世界は崩壊し、現実世界へと心身が引き戻されていった。