ラメンティスの幻影が砕け、本体が露わになる。
「私の予想を超えましたね?」
ラメンティスの声が、低く響く。その黒い体は霧散し始めていた。
魔法迷宮と精神攻撃を破られたことで、もはや力を保てなくなっているのだ。
しかし——
「それでも、お前に勝ち目はないと言いましょう!」
ラメンティスが、最後の足掻きを見せた。
空間が、また歪む。だが、今度は異空間の物と違う。
今度の歪みは、今までよりもはるかに深い闇を孕んでいた。
その言葉とともに、カナメの影が蠢いた。
(……もういい加減にしてよぉ)
影が、実体を持ち始める。それは、まるで……
「俺自身?」
カナメと寸分違わぬ姿の影が、カナメの前に立っていた。
顔、構える剣、佇まい。すべてが、カナメと同じ。
「私すべてつぎ込んで貴方を再現したのです!こうすれば私は貴方よりも強い!」
「どうだか」
次の瞬間、影のカナメが動く。刹那、カナメの剣が 閃いた。
ガギィィィィン!!!
影のカナメの剣を、寸分違わぬタイミングで受け止める。完全に互角の戦い。
(やばい……本当に同じ動きをしてる!?)
互いに同じ剣筋、同じ間合い。
完璧な鏡合わせの戦闘が繰り広げられる…ことはなかった。
(……あれ? カナメの剣、わずかに速い?)
激しい剣の打ち合いが続く中、少しずつカナメが押し始める。
ほんの少し。だけど、確実に。
(なんで……? 自分のコピーが相手なら、普通は五分五分になるはず……)
だけど、カナメは——
「過去のやらされで動いていた俺が、自分の意思で本気で振う剣にかなうはずがないだろ!」
そう断じた瞬間、カナメの剣が影を斬り裂いた。
「!!?」
影のカナメに、剣が突き刺さる。
「なぜ私が、まさか、エスカトニスの日が、訪れた!?」
赤黒い霧が噴き出し、影は苦しげに悶えながら崩れ落ちる。
影のカナメ、ラメンティスがわずかに目を見開いた。
「まさか、神が傲慢さで死ぬとは」
「死?死ぬ?この私が?」
「人間のままである俺を模倣しなければ死ななかっただろうに」
消える影は苦しそうに言い残す。
「だとして、も、無駄で、愚かな、こと、を」
黒い霧が完全に薄れ、ラメンティスの体が崩れ始める。
やがて、霧となって消える。同時に この城を覆っていた霧が、一斉に晴れた。
ラメンティスはカナメの意志によって倒された。
呪いの元凶は滅び、勇者と魔王を支配していた”運命”は崩壊した。
(……終わった?)
私は、カナメの血液の中で安堵のため息を吐いた。
長かった。本当に、長かった……。
「終わった、な」
カナメが 剣を収める。本来なら、これで全てが終わるはずだった。
なのに、カナメの体が 光の粒になって 崩れ始めていた。
最初は、指先から。さらさらと細かな光の粒が宙に溶け、ふわりと消えていく。
風に散る花びらのように。
(え……?)
私は、状況を理解できなかった。でも、嫌な予感はした。
カナメは、静かに横になる。
まるで、初めから分かっていたかのように、何かを納得するような行動だった。
そして、カナメの意識が念話として、はっきりと流れ込んできた。
《……俺はもう、この世界にいられなくなるみたいだ》
(うそ! なんで……!?ラメンティスを倒したのに?)
血流を巡らせ、必死に補修を試みるが、ふさぐ素材がないのでうまくいかない。
《倒したからだ。俺は、生まれつき”勇者として作られた存在”だったみたいだしな》
カナメの声は、驚くほど落ち着いていた。
“世界に存在できなくなった” という、もっと理不尽な現象。
彼はそれを認めているようだ。
《奴に力を与えられ、戦いを強いられ……それが俺の”役目”だった》
勇者としての “加護” も、魔王としての “呪い” もなくなった今、カナメをこの世界に”繋ぎ止める理由” は何もない。
足が、さらさらと光の粒となって溶ける。
《でも、それを作ったやつを殺した。勇者と魔王の理が無くなった以上》
目の前で起こってることは、私でも感覚的ではっきり言葉にできないことだけど……。
彼の命は、そもそも”この世界の理によって作られたもの”だった。
その理が崩壊した今、彼は “世界の外へ押し出される” ように消えていく。
《俺は、もう”この世界にいられない”んだ》
カナメは、自由に生きるために戦った。
運命に抗い、魔王化を拒み、呪いを打ち破り、それでも——この世界に”生きられない” なんて。
(ねえ、なんでそんなに静かなの!?)
《俺は、これでいい》
私の焦りとは裏腹に、カナメはどこか穏やかだった 。
《俺自身の無念も、怒りも……全部、ラメンティスにぶつけた》
無表情だった彼は、ようやく微かに笑った。
《俺は抗った。”勇者”でも”魔王”でもなく、ただ”俺自身”として戦えた》
それは、どこか満足げ で
《……生まれた時から決められていた運命を歩かされるなんて、冗談じゃないと思った。けど、ようやく自由になれてたって気付けた》
__本当に”終わるつもり”の人間の言葉 だった。
(終わるの、そんなの……そんなの、嘘だ!!)
《……悪いとは、思ってる》
私は、必死に彼を繋ぎ止めようとする。
スライムの部分を使って何とか肉体の消滅を止めようとする。
(待って、待ってよ!! せっかく助けたのに!!)
どれだけ試みても、”カナメという存在を定着させる枠”が もう、この世界にはない 。
光の粒が、次第に加速するように舞い上がる。
《できるなら、もうちょっとだけ、生きたかったかな》
彼の手、腕、肩、体が、砂時計の砂が零れるように消えていく。
それでも、カナメは静かだった。
《あんた、最後まで……変なやつだな》
そう、苦笑する。
(やだ……やだ、やだ、やだ……!!こんなに頑張った人を、カナメを消さないでよ!!)
そしてカナメの輪郭が、完全に霧散しようとしたその瞬間の願いは非常に純粋だった。
それは決して愛とか義務感ではなく、もっと原始的な衝動。
カナメを救いたい。それだけの、シンプルな “願い” 。
『見つけた、今こっちに引き上げるよ』
(え?)
落ち着くような声につつまれ、私の意識までもが白く塗りつぶされた。