4話 逃れ者

偽神狩りのオリヴォスフィア

 ぐったりとして動かない青年はしばらく放心していたのだろうか?

 しかし意識はあったようですぐに小さく声を漏らす。

「……最悪だ」

 あれだけのことがあればこのような声を漏らすのは当然だろう。

 まだ全身が痛いし。

 しかし問題はそこではなかったようだ。

「なんなんだ、あんた……」

(……え?)

「呪いに介入してきたお前だ」

(あ、えっと……その……)

私は彼と”意思疎通ができている”ことに気づいた。

(私の声、聞こえてる?)

「じゃなきゃ、ほかに誰がいる」

 今まで一方通行だったやり取りが、ついに双方向の意思疎通が可能になった瞬間だった。

 私が驚いて固まっている中、私に声をかけた青年はしばらく黙っていたが、やがて、息を吐いた。

 全身がズタズタで、傷が回復するまでしばらく動くことはできない。

 私も慌てて止血や修復を手伝う形になっている。

 彼は目を閉じ、呼吸を整えながら、こちらとの会話に意識を向けているようだ。

(え、これ……普通に会話できる感じ?)

《……あんた、今俺の血になってる奴だろ?なんで死にかけの俺の体に入ってきた》

彼はいきなり核心に触れてくる。私は一瞬言葉に詰まるが、正直に答えた。

(たまたま目の前にあったから)

 それを聞いた彼は呆れたのか、納得したのか、判断がつかない沈黙。怖い。

《……魔王の手先か?》

(違う!こっちも何もわかってない)

《何も分からないにしちゃ、思考はできるんだな》

(こんなファンタジーな世界があるとか、こっちが聞きたいよ)

《ふぁんたじー?空想の?》

(……私、魔法とか魂とか呪いとか、初めて見た)

 彼はそれを聞いてしばらく黙っていたが、ぼそりと呟いた。

「……変なやつ」

 私は思わずムッとして反論する。

(リコって愛称があるのに、お前ってなんですか!?)

「……」

(聞いてます!? リコですよ! リ・コ!!)

 彼は完全にこちらを無視していた。というより何か考えているような感じだった。

 この彼の心情をある程度読み取れる繋がりは、詳細までは教えてくれないらしい。

 私が考えるにカナメはかなり真面目な方だと思う。

 今までのことから、この後について考えているかもしれない。

 だから、邪魔したくなくて、最低限の情報だけもらって黙ろうと思った。

(呼び名とか、ないの?私、まだあなたの名前を知らなくて)

《……ない》

(……勇者なのに?)

《たまたま戦争で焼き払われた村で生き残ってそのまま兵士になったから、ない》

 話題の地雷を避けようと最低限訪ねようかと思いきやまさかの事実、しかし聞いた手前やっぱりいいやなどと言い出せないので深く聞いてみる。

(それでも、仮の名前とか役職は与えられそうだよね?呼び名がないと不便だしどう呼べばいいか教えて?)

《カナメ、戦争の布石に置いて最も重要な立ち位置だから》

(…重要とか、大事なっていみの、カナメ?)

《ああ、最初は戦争勝利の際に、開幕に俺を前線に送り込まれてばかりだったから》

 この話を聞いて、安易に聞きこむべきじゃなかったかもしれないと後悔した。

 そりゃ強くなるわという感想と、彼にとって辛い話題に入ってしまったなという申し訳なさが湧き上がる。

(なんか、ごめん)

 思わず私はそう伝えたのだが、カナメの方は日常茶飯事で慣れているというような雰囲気で、さほど気にしていないのか辛辣な言葉が返ってきた。

《正体不明の何かの癖に同情したり命かけたり、妙に人間くさいな》

(……前言撤回、まだ火山に飛び込んでもろとも倒そうとか考えてそう)

《説明の手間が省けて助かった》

(やっぱり!?)

 しかし間を置かずにカナメは続けて念話をする。

《だけど、魔王にやられて死にかけた時も、呪いの件で助けられたのも、事実だ》

(……そう)

《感謝はしてる。だから、リコについては、また後で決める》

(それってつまり、すぐには?)

《おかげで、ふざけた呪いを作ったクソ神を殴りに行けるからな》

 その言葉を聞いてカナメはすぐにカナメ自身や私に危害を与えるわけじゃなさそうだとわかり、ほっと胸を撫で下ろした。

 数時間だけで人間じゃなくなった上に止む負えず体を相手と共有するようになっちゃった。

 その上で、過ごしていくのはだいぶハードな世界な気もしてきたけども……

 割と何とかなっていたので自信もついてきた。

 私が一人でうんうんと納得し自画自賛している中、カナメが急に痛む体で立ち上がり、剣を構えたのと同時に言い放つ。

「!?向こうからこっちに来たらしい」

(なに!?何??)

 空気が重い。いや、それ以上に「冷たい」。

 私たちがいるこの空間だけが、別の世界に切り離されたような感覚がする。

 異質な気配に私が怯えている中、カナメは警戒を続ける。視界が一瞬、揺れた気がした。

——バチッ……!

 空間が弾けるような音がした。

 まるで、何かが「この世界の法則」を書き換えたかのような、不吉な音。

 その瞬間、カナメが低く言った。

「……来る」

 広間の奥が揺らいだ。黒い霧が滲み出し、そこから何かが現れる。

 それは、人の形をしているようで、していない。

 輪郭がはっきりしない。黒い靄の中に、仮面のような顔だけがぽつんと浮いている。

 しかし、それすらも定まっていない。目を離した一瞬で、形が変わっている。

 見た者の認識に応じて、無限に揺らいでいるかのように。

 ——不気味すぎる。

(なに、これ……)

 私の中で得体の知れない嫌悪感が広がっていく。

「……君の中に宿った存在はずいぶんと、興味深いことをしてくれたな」

 音ではない。意識の奥に、冷たい何かが「触れてくる」ような感覚。聞こえるのではなく、直接「流れ込んでくる」。まるで、思考を侵食するかのように。

「魔王が生まれないから確認しに来たのか?」

 カナメが言葉を返す中、微かに息を呑み、剣を握る手にわずかに力が入る。

 そして、一歩、後ろへ下がる。

 それは、今までとは比較にならないほど神経を研ぎ澄ますような、警戒の動きだった。

(カナメが……?)

 あの人は、どんな強敵を前にしても冷静に距離を測る。でも、今のは……

(これ、またヤバいやつだ!!)

 私は確信した。目の前の存在は、ただの敵じゃない。たとえるなら神のような何かだ。

「カンが良いですね。神として、神罰と神託を下しに来ました」

 そして、次の瞬間——世界が、歪んだ。

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